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刀狩とは何だったのか

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16世紀は刀剣の歴史上、画期的な世紀でもありました。言わずと知れた「刀狩令」が発せられたのが1588年のことだったからです。天下を統一した豊臣秀吉は、当時の大名が各地で布いていた政策の有効性を無駄にすることなく、それらを真似て全国に押し広げたのです。具体的には、土一揆に向かわせないためのあらゆる方策であり、そこに「大仏建立のため」などという方便を付加することで成功させました。実は土一揆は地域の武士が農民を扇動することで生じるのが常であったことから、下級武士の下克上という側面が多分にありました。農民が年貢の辛さから起こす単純な一揆よりも、この種の反乱は当時の治世者にとって警戒すべきものだったのです。秀吉もそれを十分に認識していたからこそ、下級武士の手足となり得る働き手の農民の武装解除を画策し、それらしき言い分で「刃物」を取り上げたのでした。
 さて、刀が謀反を犯す者の武器として強く認識されていたのは致し方ないとしても、そうした「危ない」日本刀の神性が消失することは無かったのでしょうか。そもそも武道は弓馬の道であり、刀剣は長らく宮廷では儀礼用、庶民にとっては護身用の道具であったことから、武器としての性質は刀の本義ではありませんでした。例えば戦国時代に来日したルイス・フロイスは農民が腰にぶら下げているのを目撃していますし、「今昔物語」には装具としての刀、「新猿楽記」には弓矢の達者な最強武士が記されており、武力と刀とが今ほど結びついていなかったことが窺えます。つまり秀吉の政策くらいで刀の神性が根本から崩れることは無かったと考えられるのです。

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