日本刀を愛した外国人

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日本刀を愛した外国人

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明治維新を経て日本の文化がそれまで以上に海外に広まったことで、外国人が日本刀の魅力に触れる機会も増えました。特に欧米では熱心なコレクターが多数現れ、名刀の多くが彼らの手に渡ったのです。

もちろんほとんどのコレクターは日本刀の価値を十分理解した上で購入していることから扱いも丁寧でしたが、中には投機の対象としてぞんざいな扱いで済ませる不届き者も存在し、戦後の占領政策下で名刀が流失した不遇をかこった刀匠がいたのです。

 

他方、熱心な外国人コレクターには見上げた人もいて、彼らは刀づくりを体験してみたいとの思いから来日を決意し、実際に刀匠の下で挑戦しました。例えばキース・オースティンは海外での作刀許可を受けた唯一の外国人として知られていますが、彼は元々ニューヨークで美術を学んでいた一人の若者でした。その彼が1961年に来日して宮入行平に師事し、1968年には作刀許可を得るまでに技術を上達させたのです。

その後オースティン延平として米国で活躍しましたが、中途半端な出来の作品は破壊したため、彼の作品として現存するものが少数にとどまっているのが残念です。因みにオースティン延平は62歳の若さで他界しました。

外国人に日本刀の魅力と共によく知られているのが、「武士道とは死ぬことと見つけたり」との文言です。山本常長の「葉隠」に収められた文句ですが、決して自害を勧めているわけではなく、「メメント・モリ」が生への執着を解消し、人として正しい判断ができるようになるとの教えです。

このような名言も彼ら外国人に誤解の無いよう、正しく理解してもらう必要があります。

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