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天下三名槍

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「御手杵」「日本号」「蜻蛉切」の三振りの槍を指して、天下三名槍という。戦いで槍を使用するようになったのは最近の事で、「天下三名槍」も全て室町時代から戦国時代にかけて作られたものである。

 ・御手杵・・・室町時代に活躍した駿河国(静岡県中央部)刀匠・五条義介の作といわれる。全長約3.3m、重さ約22㎏の大身槍であったといわれる。太平洋戦争による戦火によって焼失した。

 下総国(千葉県北部)の大名結城晴朝が作らせたもの。ある戦いで打ち取った十数個の敵の首をこの槍に通し、肩に担いで帰城した。その途中中央の首が一つ落ち、その様子が手杵の様に見えたといわれている。

 ・日本号・・・作者不明。もとは皇室の所有であったが、皇家から室町幕府第15代将軍・足利義昭へと下賜され、織田信長、豊臣秀吉へとめぐり、賤ケ岳の戦いで大功をたてた福島正則の所有となる。この後黒田官兵衛の手に渡る事になるのだが、それにまつわる逸話が、民謡「黒田節」の中に今も歌い継がれている。その後代々黒田家に受け継げられた。現在は福岡市に寄贈され、福岡市博物館が所有している。

 ・蜻蛉切・・・作者は村正一派の藤原正真とされている。使い手は徳川家康の家臣・本多平八郎忠勝。生涯において、57回もの戦に参加したが、かすり傷一つ負わなかったという猛将である。

ある時忠勝が槍を立てて休んでいると、どこからともなく一匹の蜻蛉が飛んできた。そして槍の先にとまった瞬間、あまりの斬れ味に、蜻蛉は真っ二つになったという。この逸話から「蜻蛉切」の名が付けられた。現在は愛知県岡崎市の岡崎場内施設にレプリカが展示されている。

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