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備前長船派を代表する刀工

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兼光は、鎌倉時代後期から南北朝時代前期に活躍した備前長船派を代表する刀工といえるかもしれない。作風は、相伝備前という相州伝を取り入れた身幅の広さが特長といえる。大太刀、寸延短刀などの勇壮な作風の名刀も多い。初期には、父景光の影響を強く受けた直刀や片落ち互の目の落ち着いた作が多いが、後年になると、のたれに互の目が混じった華麗な刃紋の作へ変化していった。棟は多く見られる庵棟。太刀表には草の剣巻き竜、裏には三文字の梵字ある。表裏には棒樋と添え樋。帽子は乱れこんで小丸に返る。中心うぶ、五穴の目釘孔。銘は、「備州長船住兼光」「観応元年八月日」。この太刀が「福島兼光」と呼び習わされようになったのには、つぎのような逸話がある。関ヶ原の戦の功績により広島城主となった福島正則が、領内にあった日蓮宗本国寺の住持を罰した時、本国寺が所蔵していた兼光を取り上げてしまったからだという。元和5年、広島城の修繕を幕府に無届けで行った科で正則は、安芸備後50万石を没収された。福島正紀の没後、「福島兼光」はどのような事情かは不明ながら、加賀前田家の所有となっている。寛永12年、前田家から京の本阿弥家に鑑定依頼が出されている。鑑定結果は、金15枚の折紙(鑑定書)がつけられたという。

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